東京高等裁判所 昭和41年(ラ)381号 決定 1966年9月05日
抗告人 ドイツエ・ブエルフト・アクテイエン・ゲゼルシヤフト
主文
本件抗告を棄却する。
理由
抗告代理人は原決定を取消す。被申請者中越ワウケシヤ有限会社は別紙目録に示すシンプレツクス・スタン・チユーブ・シーリング(リツプタイプシーリング、オイルバス式スタン・チユーブ・シーリング)の製作販売をしてはならない。手続費用は全部被申請者の負担とするとの裁判を求め、抗告の理由として別紙書面のとおり主張した。
ところで抗告人が本件仮処分申請によつて、侵害を防止しようとする被保全利益は、抗告人のいうところによれば、「オイル・ルブリケーテツド・スタン・チユーブ・シーリング(以下本件シーリングと略称する。船舶のプロペラ軸の軸受装置である。)の製作過程における技術上の秘訣であり、いわゆるノウ・ハウと称せられるものに属するものであり、そのノウ・ハウとは、特許権その他の工業所有権と密接な関係のある工業技術上の概念であつて、工業の生産過程において必要な技術上の経験、智識及び洞察力の複合した有形無形の秘訣であつて、外部に対し秘密とされているものであるが、ノウ・ハウは権利としての呼称は与えられず、特許権のような工業所有権の範疇にも入らず、法制上は権利として把握できないが、外部に対する擁護は一に事実上の秘密保持にあるものである」というのである。
右抗告人の主張自体よりするときは、ノウ・ハウが法律上如何に理解さるべきかは兎もあれ、財産的価値の存することは明であり、しかも未だ法律的には権利とは認められないものであると云わざるを得ない。而してノウ・ハウ契約(技術援助契約)により被援助者(ノウ・ハウについて)である締約当事者は右契約により知得したノウ・ハウを契約で限定された範囲外に洩らしてはならない義務を負担することは当然であるが、右義務は契約上の債務であり、約旨に反して、ノウ・ハウを他に洩らした債務者(仮処分の債務者でない、以下同断)が、契約法上の損害賠償等の責を負うことも疑ないけれども、締約当事者以外の第三者が、債務者より教示され、又は偶然の事情等によりノウ・ハウを知得した場合、右ノウ・ハウを使用して製作をする場合、これが差止めをすることは、現行法上、特段の規定がないので、できないものと解するを相当とする。けだし、ノウ・ハウは財産的価値のあるものではあるが、権利(無体財産権であるか、債権であるかを問わず)的なものとして第三者にも強制的にこれを認めさせるだけの効力を法律が許容しているとまでは現在のところ、解し得ないからである。ノウ・ハウの擁護はこれを保持する者が産業上の秘密として他に漏洩することを事実上防止する外はないと云わざるを得ない。しかも被申請人中越ワウケシヤ有限会社は、その構成員である社員中に、前述の契約当事者である債務者ワウケシヤ社があり(その出資額が資本の四十五パーセントであるとのことであるが)、取締役二名は右債務者会社から選任されているとしても、法律上は被申請人が前示契約に対する第三者の地位にあることは抗告人の自陳するとおりであるから、被申請人が債務者会社の債務不履行に協力又は援助を与えたものとして違法な所為があるものとしても、損害賠償の責を負うかどうかは別とし、これに対し、本件申請の仮処分により保全さるべき請求については、その疏明がないものと云うべく、又保証を立てしめて、右疏明に代えることも本事案については不相当と考えられる。さればこれと同趣旨に出で、本件仮処分申請を却下した原決定は相当であり、他に右決定を取消すべき違法の点も認められないので民事訴訟法第四百十四条第三百八十四条により本件抗告を棄却することとし、(手続費用は本件審理につき、相手方はないので負担者を定める必要はなく、抗告人の負担であることは云うまでもない)主文のとおり裁判する。
(裁判官 毛利野富治郎 石田哲一 安国種彦)
(別紙)
抗告の理由
一、抗告人会社が本件仮処分命令申請の第一次の請求理由(被保全権利)として主張したことは、「本件ノー・ハウによるシーリングが船舶のプロペラ軸の軸封装置であるところから世界における船舶建造量の大半を占める日本の造船会社が船舶建造に当り殆んど例外なく抗告人会社のものを採用している関係上ワウケシヤ社は最もその需要の多い日本における市場へ乗り出し、日本において右シーリングの製作販売をなさんことを企て、法律上正に抗告人会社に対する不作為の積極的契約義務違反行為を自らが設立者となり、しかも、自らが支配する相手方会社なる外被を悪用して自らが支配する相手方会社をして日本でシーリングの製作販売をなさしめて世界的に最も需要の多い日本市場への乗り出しを実に巧みに敢行しているものであるから、相手方会社の行為は即ち、ワウケシヤ社の行為であると断じて事実上も法律上も誤りがなく、ワウケシヤ社が前記目的達成のために自ら相手方会社を設立し相手方会社を支配しているものである。
従つて、抗告人会社はワウケシヤ社に対すると同様に相手方会社に対しても本件ノー・ハウのシーリングの製作販売禁止を請求し得るものである。ワウケシヤ社が日本に営業所工場等を設置して本件ノー・ハウの製作販売を敢行している場合、抗告人会社がワウケシヤ社に対しこれが禁止(差止)を請求することができることは勿論であるが、ワウケシヤ社が前記の如き不法目的をもつて自ら設立し完全に自己の支配下におさめている相手方会社をして日本で堂々と本件ノー・ハウの製作販売を敢行せしめているにもかかわらず、抗告人会社が、かかる不正違法な行為をただ静観しているのみで、発生した損害賠償の請求しかできないということであつては著しく正義公平の原理に反する結果とならざるを得ない。よつて、抗告人会社は相手方会社に対し本件ノー・ハウのシーリングの製作販売禁止を請求し得るものである。」ということである。
抗告人会社のこの第一次の請求に対し、原審は、「(なお、論旨は、債務者会社をもつてワウケシヤ社の傀儡にすぎないとする。なるほど、社会的、経済的見地からすれば、さような場合もあり得ようが、法律的には債務者会社の第三者性を否定することはできない。)」と判断したのみである。
原審の右判断は誤である。その誤を以下に指摘する。
(一)、なるほど中越ワウケシヤ有限会社たる相手方会社は新設された独立の法人であるから、ワウケシヤ社からみれば一応形式上第三者であることは原決定のいうとおりである。しかし、ワウケシヤ社が前述した不法目的、即ち、自己が抗告人会社に対して負担しているノー・ハウ契約上の不作為義務を積極的に蹂躙して日本において右ノー・ハウによるシーリングを製作販売せんことを企て、この計画の実施として自己が自ら設立者となり、その持分の四五%を自ら取得し、その四五%を取得する中越社も、ワウケシヤ社の右不法目的の実施行為はワウケシヤ社の抗告人会社に対するノー・ハウ契約上の不作為義務の積極的蹂躙行為たる反社会的公序良俗違反たる不法行為であることの充分な認識を持つているが、かかる中越社をして設立者の片棒をかつがしめ、しかも、ワウケシヤ社は中越社との設立契約により、自己が設立される合弁会社(相手方会社)を完全に支配できるような内容を定め、かつ、新設される相手方会社の主たる目的は自己の会社が抗告人会社に対して負担する義務違反となる右ノー・ハウを利用する本件シーリングの製作販売を業とするもので、かかる設立契約に基きその趣旨どおりの相手方会社が設立され、その社長たるロバート・エイ・ハイセンが自ら代表取締役にも就任し常駐取締役をも派遣し、日々の業務運営に当らしめ、国際的会計事務所の会計士の監査下におさめ、設立契約に違反すればシーリング等のノー・ハウを直ちに引き上げるという仕組みにしている等の諸点その他本件疏明資料の全体からみて、相手方会社は単純な第三者というのではなく、別法人たる外被をまとつてはいるが、その実ワウケシヤ社の傀儡的存在というよりも、むしろ、ワウケシヤ社の変身、分形というべく即ち、ワウケシヤ社は法律上正に抗告人会社に対する不作為の積極的契約義務違反行為を自らが設立者となり、しかも、自らが支配する相手方会社の外被を悪用して敢行しているものであるから、相手方会社の行為即ちワウケシヤ社の行為と断じて法律上毫も誤りがない。
原審は右のような実体を法律的に正確に把握することができないで、かかる内容実体を社会的、経済的なものに過ぎないとなし、相手方会社の第三者性を否定できないという全くの形式的な考え方に終始したもので、原審のかかる判断は正当でない。
(二)、ワウケシヤ社が日本において営業所等を設置して本件ノー・ハウの製作販売を敢行しているときは、抗告人会社がワウケシヤ社に対しこれが禁止を請求し得るが、ワウケシヤ社が自らの支配下に置いている自己の変身分形というべき相手方会社が日本において堂々と本件ノー・ハウのシーリングの製作販売を敢行しているのにもかかわらず抗告人会社はかかる不正違法な行為をただ静観しているのみで発生した損害賠償の請求しかできないと結論するならば、これはワウケツヤ社が日本において営業所等を設置して自ら本件ノー・ハウのシーリングの製作販売を敢行する場合に比して著しく均衡を失することになり、法の外形的悪用を是認し、権利者の保護を放棄する結果となり、著しく正義公平の原則に反し信義誠実の原則を無視する結果とならざるを得ない。
原決定はかかる根本的な内容を審究しなかつた憾みがある。
二、抗告人会社の、ワウケシヤ社と相手方会社とは共同不法行為であるから、抗告人会社は相手方会社に対しワウケシヤ社と共同して本件ノー・ハウによりシーリングの製作販売をしてはならない旨を請求し得る権利を有しているという主張について、原決定は債権者は第三者に対し妨害排除ないし妨害予防の請求権はないと判断した。
しかし原決定で挙げている不動産賃借権の場合、通常の場合には賃借権は単なる債権に過ぎないという点から対抗力を具備した不動産賃借権について妨害排除請求権を認めるというのが最高裁の考え方である。(最判昭和二八年一二、一四、民集七巻一二号一四〇一頁、最判昭和二九年一〇、七、民集八巻一〇号一八一六頁、最判昭和三〇年四、五、民集九巻四号四三一頁)
そして抗告人が原審で引用した最高裁判決(昭和二九年七、二〇、民集八巻七号一四〇九頁以下)が、「何等特別事由なく」といつているのは、単に対抗力のあることのみを指称したものではなく、その場合をも含めて、妨害排除請求権を是認しなければ著しく信義公平の原則に反する結果となるような事情のある場合をも含めて「何等特別事由なく」と述べたものと解すべきである。蓋し、対抗力を備えることのみを特別事由と指称したものであるとすれば、最高裁が前掲の判例に示すとおり、しばしば繰り返えし判示しているのであるから、卒直に対抗力の具備のみをいえば足りるのであるにもかかわらず、この表現をさけて、ことさらに「特別事由」といつたのは対抗力の具備の場合のみに限定することの狭きにすぎることを意識しているからである。
本件の場合の如きノー・ハウ契約上の不作為請求権たる債権の場合には対抗力を備えるというようなことは法制上あり得ない。しかし、だからといつて、かかる不作為請求権たる債権者にはいかなる事態の下におかれても妨害排除請求権を認めないというのが最高裁の考え方であろうか。
一般の債権の場合においても、妨害排除請求権を是認しなければ著しく正義公平の原則に反し、信義誠実の原則を蹂躙する結果となるような特別事情のある場合には、妨害排除請求権を認めるべきである。蓋し、正義公平及び信義誠実の原則は吾人の社会生活、法律生活における基本原則であつて、法律の個々の規定、概念の解釈適用はすべてこの原則に従うべきであるからである。
本件のような中越社とワウケシヤ社とが共同して、ワウケシヤ社の抗告人会社に対するノー・ハウ契約上の不作為義務を積極的に蹂躙することになる本件ノー・ハウのシーリングの製作販売を業とする会社の設立を計画し、夫々発起人になつて相手方会社を設立し、しかも該相手方会社をして、かかるノー・ハウのシーリングの製作販売をなさしめるという本件の如き場合に原決定のいう如く、単にノー・ハウの性質を云々し、又は、最高裁判例の「何等特別事由なく」を極めて狭義に解して、これにより法律上抗告人会社は相手方会社の行為を看過しなければならないとするならば、これこそ民法第一条及び第九〇条の存在を全く無視した結果となり、(法網をくぐる者万歳という結果となるであろう)。しかも、共同不法行為の場合には共同者全員が連帯債務を負担するという民法第七一九条の法意、並びに、「犯人の身分に因り構成すべき犯罪行為に加功したときは其の身分なき者と雖も仍お共犯とす」との刑法第六五条第一項の法意に鑑みれば、本件のようなワウケシヤ社と相手方会社との前述したような実体の共同不法行為の場合には、抗告人会社はワウケシヤ社に対すると同様に相手方会社に対しても、また妨害排除請求権を有するものと解しなければならない。
(別紙)目録
抗告人会社とワウケシヤ・ベヤリング・コーポレイツヨン間の一九六一年六月二日付シンプレツクス・スタン・チユーブ・シーリングのライセンス契約に基き抗告人会社がワウケシヤ・ベヤリング・コーポレーシヨンに与えたノー・ハウに基く別紙図面1-A 1-Bの組み合わせないし5-A 5-Bの組み合わせに示し、かつ別紙図面の説明に述べる構造で別紙主要寸法表に示すシンプレツクス・スタン・チユーブ・シーリング(リツプタイプ・シーリング、オイルバス式スタン・チユーブ・シーリング)並びに前記の構造寸法に附加(改訂)が加えられても前記のノー・ハウのすべてを充足するシンプレツクス・スタン・チユーブ・シーリング(リツプタイプ・シーリング、オイルバス式スタン・チユーブ・シーリング)
以上